• Home
  • 雑記
  • Lingo Institute 20周年記念ストーリー①

Lingo Institute 20周年記念ストーリー①


こんにちは、英会話と日本語レッスン「リンゴ・インスティテュート」代表の原田です。まだ5月だというのに今年は雨の日が多いですね。雨が降ると5年ほど住んでいた金沢を思い出します。「弁当🍱忘れても傘忘れるな☂️」と言う諺がある程雨の日が多く、降水量は日本一だとか。

金沢はただ住んだ事がある所と言うだけでなく、私の日本語教師としてのキャリアをスタートさせた場所でもあり、リンゴインスティテュートを設立するきっかけにもなった学校が存在した場所でもあるのです。

今年の10月に創立20周年を迎える当校ですが、20年を振り返ると共に、その創立に至るまでのストーリーを連載しようと思います。
**********************************
結婚して直ぐに夫の仕事の関係で金沢で暮らす事になったのですが、東京での仕事を辞めて、しかも初めての土地で友達もいないと言う状況で、何か地域と繋がりを持ちたくて始めたのが、金沢を旅行で訪れる外国人観光客向けのボランティアガイドでした。高校生の頃から「将来は日本と外国を繋ぐ架け橋になりたい」という目標を持ち、進学先や就職先を選んで来ましたので、海外の方のお役に立てて、古都金沢をご紹介出来るボランティア活動は天職だと感じました。金沢駅構内の情報カウンターでご案内したり、実際に同行ガイドをしたりしました。

ある時、そのボランティアガイドを運営している親団体「金沢を世界へ開く市民の会」で事務のお手伝いをする事になりました。こちらの会は石川県と金沢市からの支援を受けて海外から日本語と日本文化を学びに来る方を受け入れる非営利団体です。各国大使館関係者や会社の駐在員が東京等での勤務に就く前に数ヶ月金沢に滞在し、午前中は日本語教育、午後は書道、茶道、武道等の日本文化に触れる機会を提供していました。また短期間の学生語学研修や、個人も受け付けていて、希望者にはホームステイ先を斡旋する事もありました。

日本文化が凝縮された古都金沢に在り、日本語や文化を短期集中的に学べる事もあり「金沢を開く市民の会」は当時大変な人気でした。そのうちに日本語教師が足りなくなり、事務職員の私にも日本語を教えてみないかと声が掛かりました。ベテラン講師から日本語教授法を教えてもらいながら実際にレッスンも担当するというOJTのような状況でしたが、大学では言語学をかじっておりましたし、普段何も考えずに話す日本語の構造や意味を学ぶ事は発見が多く、とても楽しいものでした。

記念すべき生徒第一号はスイスのローザンヌ工科大学大学院で学ぶ院生の皆さんでした。大変優秀でフレンドリーな皆さんに助けられて3ヶ月のコースを無事に終了出来た時の安堵感と達成感は今も忘れられません。冒頭の写真は、彼らがコース終了時にプレゼントして下さったものです。地べたに寝転んで表現した人文字の「金沢」の写真は私の宝物です。✨

こうして日本語教師としての活動がスタートしました。順調な滑り出しに見えますが、プロの世界はそれ程甘くないですよね。もちろん試練が待っていました😅(次回へ続きます…)