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2024年を迎えて

2015年初夏の金沢
謹んで新年のご挨拶を申し上げます🗻

元日から痛ましいニュースが続きました。犠牲になられた方、被災された方へ心よりお見舞い申し上げます。私が日本語教師のキャリアをスタートし、リンゴ•インスティテュートを立ち上げるきっかけとなった第二の故郷、石川県の惨状に胸が痛みます。1日も早い復興を祈ります。

昨年のリンゴ・インスティテュートは英語コースにも日本語コースにもたくさんの生徒さんに通って頂きました。コロナも多少落ち着いて来てからは海外へ旅立つ方(英語コース)、海外から留学や駐在で日本へいらっしゃる方が一昨年に比べて急増しました。

特に日本語コースには、フランス、アメリカ、イギリス、アイルランドの方々が継続的に日本語を学びに来てくれていますが、ボランティアで、メキシコ、コスタリカ、スイス、タイ、フィンランド、オランダからの高校生(交換留学生)にも日本語を教える機会があり、教師側も様々な文化と触れ合う事が出来る一年でした。

円安もあり街にも外国人観光客の方が大変多く、特に家族連れが多くなったと実感しています。2024年も更に日本へいらっしゃる方々は増えるだろうと思いますが、そうした方々へも日本の文化や言葉を正しく伝えられるよう努めたいと思う新年です。🎍

皆様にとりましても、2024年が良い学びの一年でありますように。

Lingo Institute
原田靖子

2023年もよろしくお願い申し上げます。🍎


Happy New Year 2023🍎
関東は穏やかな良い三が日でした🎍皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか? 写真は御殿場から元日の富士山です。🗻 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、新年に当たり、リンゴ・インスティテュートを開校したきっかけについてお話したいと思います。簡単に凝縮してまとめてみました。

・高校時、世界から集まった交換留学生とキャンプをし、世界には様々な価値観がある事を知る。「もっと世界を知りたい!将来は日本と世界を繋ぐ仕事がしたい✨」と心に誓う
⬇️
・大学で異文化間コミュニケーションを学ぶ
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・国際人材採用推進の会社に新卒入社
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・結婚に伴い退社し金澤へ移住。金澤で外国人向けボランティアガイドと日本語教師のアルバイトを始める
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・日本語を学びに来た英国人弁護士さんに、「ちゃんと英語で文法の説明が出来る先生に担当替えして欲しい💢」とダメ出しをされ、一念発起!ロンドン大学大学院で応用言語学を学ぶ
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・帰国後、ベルリッツで英語を教え、独立を考えていた友人2人と共にリンゴ・インスティテュートを設立。友人たちは英語担当。私は日本語担当。楽しいだけの語学スクールではなく、応用言語学に基づいたアカデミックなレッスンを良心的な月謝性で提供しようと誓う🙋‍♀️

こうした経緯で開校したのが2001年ですので、今年で22年目です🍎 本年も皆様の語学力と異文化理解力向上のお手伝いをさせて頂くのをエリック共々楽しみにしております。引き続きどうぞよろしくお願い致します。

リンゴ・インスティテュート代表 原田靖子

Happy Holidays ☃️


Happy Holidays ☃️
Lingo Instituteは12/24から1/3までお休みを頂きます。皆様、どうぞ良い年末年始をお過ごし下さい🍎

今年、[英語コース]で印象に残りましたのは、公立中学の入試対策のお手伝いをした事です。退屈になりがちな英語での自己紹介をその方ならではのエピソードを添えたり、入学後の目標を入れたりして印象に残るものに仕上げました。グループワークでの振る舞い方などのアドバイスも致しました。

[日本語コース]で印象に残りましたのは、市内の高校の交換留学生3名にボランティアで日本語を教える機会を与えられた事です。コスタリカ🇨🇷アメリカ/メキシコ🇲🇽、スイス🇨🇭と異文化に触れる事が出来ました。サッカーのW杯の時も盛り上がりましたよ⚽️楽しく日本語を学んでもらいました。

2023年も皆様のお勉強のお手伝いをさせて頂けるのを楽しみにしています🍎

The Queen’s Platinum Jubilee 2022 / ジュビリーって?

The Queen’s Platinum Jubilee 2022
「ジュビリー」とは?

イギリスで6月2日から4日間にわたり、エリザベス女王の即位70周年「プラチナ・ジュビリー」のお祝い行事が盛大に執り行われました。

「ジュビリー」とは在位期間の節目を祝うものです。エリザベス女王はこれまでに、1977年(即位25周年)の「シルバー・ジュビリー」、2002年(即位50周年)の「ゴールデン・ジュビリー」、2012年(即位60周年)の「ダイヤモンド・ジュビリー」を祝っており、今回は即位70周年でプラチナ•ジュビリーとなります。

そんなお祝いムード一色のイギリスですが、宮殿にはパディントンベアもお祝いに駆け付けたようですよ。パディントンベアに対する女王のユーモア溢れる応対がとても微笑ましいのでご紹介しますね♪ リンクが貼り付けられないので、「エリザベス女王 パディントンとお茶」で検索してみて下さい。エリザベス女王とパディントンベアの楽しいお茶会の様子の動画が最高です。☕️

イギリスでお馴染みの紅茶、マーマレードサンドイッチ、QUEENのあのイントロに合わせたお茶目なアクションに、ビデオを式典で観ていた他の王族や観客も感嘆の笑顔だったようです。

写真は、イギリス人の生徒さんから頂いたプラチナ・ジュビリー記念のエコバッグですロンドンで応用言語学を学んだ日々を懐かしく思い出したプラチナ•ジュビリー•ウィークエンドでした。

https://fb.watch/dBtd0Q8vaD/

20周年記念ストーリー⑦ A Happy New Year


A Happy New Year

あけましておめでとうございます。今年も皆様にとりまして充実した1年となります様、お祈り申し上げます。

お陰様でリンゴ•インスティテュートは今年、21年目を迎える事が出来ました。

昨年から連載しておりました20周年記念ストーリーの7回目は、新春という事で、最も大切な企業理念についてお伝えしようと思います。

2001年に友人3人でスタートしたリンゴ・インスティテュートですが、まずは ”Mission “と”Core Values “を以下の通り策定しました。

Mission
「私達は語学教育と文化交流活動を通し、 異文化間の相互理解を深め、ひとりひとり の真の国際化推進に貢献します。」

Core Values
*ニーズにこだわります。*
学習者ひとりひとりの「これが学びたい」に応えます。

*教師の質にこだわります。*
常にトップレベルの教師であり続けるよう努めます。

*料金にこだわります。*
上質なレッスンを良心的な料金で提供します。

*異文化理解にこだわります。*
言葉だけでなく背後にある文化やマナー・タブー等についても教えます。

*コンサルティングにこだわります。*
効果的な学習法や海外留学前後のコンサルティングを提供します。
**************************************
これらの思いは20年が経過しても変わっておりません。 語学学習の目的は人それぞれだと思いますが、それら全てに出来る限りお応え出来ます様、教師も日々研鑽を積んで参ります。

また、語学習得にはそれなりに時間がかかります。地域の方に(最近では遠方の方にもオンラインで🌿)長く通って頂けるよう、リーズナブルな月謝制を続けて参ります。

そして何より、”言語を学ぶ事はその国の文化を学ぶ事”であると言う大切なことも忘れずに伝えて参ります。

2022も皆さまにとってのかけがえのない縁の下の力持ちでいられます様頑張りますので、変わらずよろしくお願い申し上げます🍎

20周年記念ストーリー⑥ リンゴ開校🍎


こんにちは、英会話と日本語のリンゴ•インスティテュートです。お陰様で先月20周年を迎える事が出来ました。ご支援、ご愛顧くださっている皆様に心より感謝しております。今後もよろしくお願い致します。

[大手英会話スクールで働く友人との再会]

さて、この20年を振り返る記念連載の6回目です。 時は2000年。イギリスから帰国した私は、大学時代からの友人と久しぶりに会い、お喋りに花を咲かせていました。 その友人はイギリスで英語講師の資格を取り、(あまりにも英語が堪能で、日本人でありながら“英語ネイティブが学ぶコース”に振り分けられたという伝説を持ちます🏅)帰国後は大手英会話スクールで講師をしていました。ちなみに、この大手英会話スクールの教授法は有名で、大学院の第二言語習得論/教授法の授業でも”ベルリッツメソッド”として紹介されていました。

「個人的に教えて欲しいと言われてるんだけど」
そんな優秀な友人が、ふと漏らした一言が、リンゴ・インスティテュートが誕生するきっかけとなりました。
「今のスクールはとても良いのだけれど、“受講料が高くて長く通えないから個人的に教えて欲しい”と言う生徒さんが何人かいるのよ。同僚講師にも同じ事を言われている人がいてね。何処かに小さいオフィスでも借りて一緒に教え始めようかと思ってるんだけどどう思う?」という相談でした。

ちょうど私も帰国直後で、本格的に仕事を始めようと思っていたタイミングでした。日本語教師をするにしても何処かスクールで教えるよりも自分のスタイルで教えたいし、社会人や企業の駐在員さん達に教えるには法人であった方が良いと思っていたところでしたので、相談を受けた友人に「だったら一緒に自分達のスクール作っちゃわない?」と答えていました。

[2001年10月開校]

こうして2001年10月に大手から独立した友人と、その講師仲間エリックと私の3人で小さなスクールをはじめました。 場所は浦和の県庁近く。言わずと知れた文教都市浦和でも特に教育に熱心な方々が多くお住まいのエリアです。 数多ある英会話スクールの中から新参者の個人スクールを選んで頂くには明確な特徴がなければなりません。私たちは“アカデミック路線”で行く事に決めました。スクール名は友人のアイディアです。Lingoはラテン語で”言語”の意味。Institute は”研究所”。カタカナで書いても「リンゴ・インスティテュート」と長く、おかげでセールスの電話もあまりかかって来ません(笑)が、生徒の皆さまからは「リンゴ🍎」と親しみを込めて短く呼んで頂いています。 英会話コースは友人とエリックが担当し、受付•事務業務と日本語コースは原田が担当する事になりました。(次回へ続きます)

20周年記念ストーリー⑤ イギリスの大学院での学び

🍎
こんにちは、英会話と日本語のリンゴ•インスティテュートです。
創立から20周年にあたり、当校を設立するまでの道のりを振り返る連載も今回で5回目です。

前回は多様性に富んだロンドン大学のキャンパスの様子をご紹介しました。今回も大学院での学びについてお話したいと思います。

[Reading List 📖 ] まず、コースが始まる入学前に渡されたものの一つが”Reading List”なるものでした。リストには、授業が始まる前までに読んでおくテキストや本の章等が連なっておりました。(え!?こんなに?という量です💦) 授業はそれらが頭に入っている前提で進められるのです。

[Reading Week] また、学期の間には”Reading Week “という名のお休みが何日か設けられており、はじめは「やった!お休みだ!友達と旅行しよう」などと無邪気に喜んでいましたが、実際は課題をこなす為の文献を読んだり、エッセイ(論文)書きの宿題をこなすので精一杯で、遊ぶどころではありませんでした😭

[Avoiding Plagiarism] “読んでは書き”の繰り返しの日々でしたが、エッセイライティングの際に耳にタコが出来るほど注意されたのが“Avoiding Plagiarism”つまり、“他人が書いたものやアイデアを盗用し、あたかも自分のもののように見せかける事は絶対にやってはいけない” という事です。 (今では他人の論文のコピペをすると検知されるシステムがありますね。) 当たり前の事ではありますが、あれだけ耳タコになる程注意されたという事は、Plagiarismが横行していたという事なのでしょう…

[論文に自分の説を唱えるなど10年早い?]

もう一つ言われて驚いたのは、”エッセイや修士論文を書く際に自分の説を盛り込むなどと考えるな”という事です。留学前は”欧米では何が何でも自分の意見を言わないと!”と構えていたので、拍子抜けしました。

実は一口に大学院といってもTaught masters courseとResearch masters courseの二つのコースがあり、私を含め多くの人はTaught masters course を選択していました。(研究テーマがしっかり決まっている人で博士課程の入口にいるような方はResearch masters courseを選んでいました。) 

Taught masters コースでは学部時代のように基本的に授業を受け、前述したように課題がどっさり出され、最終的に修士論文を書くというものでした。まだまだ“教えをインプットする”段階ですから、その分野の論文を読み、誰がどんな説を説いているかをまとめる事は出来ても、自分の説を唱えるなど10年早い!博士号を取ってからにしろ!というのは言われてみれば当たり前の事ですね。

そんなこんなで、第二言語習得論やシンタックス(統語論)等を学び、論文が書けないストレスで白髪が激増したりしながらも何とか修士号を取る事が出来ました。

修了後はロンドン大学の附属のランゲージスクールで日本語を一般の社会人やビジネスパーソンに教えたり、英国国際教育研究所という学校で日本語教師を目指す日本人学生に文法を教えました。仕事も順調だったのですが、家庭の事情で急遽帰国しなければならなくなり、後ろ髪引かれる思いで帰国したのが2000年の事です。

次回は帰国して、いよいよリンゴ・インスティテュートの誕生です。

20周年記念ストーリー④ “多様性”


こんにちは、英会話と日本語のリンゴ・インスティテュートです
コロナ禍でのオリンピックが幕を閉じ、パラリンピックが開幕しましたね。アスリート達の活躍ぶりに”人の無限の可能性”を感じて心揺さぶられ、思わずTシャツ(写真の)を購入してしまいました。

さて、リンゴ•インスティテュート創立から20年を振り返る連載4回目です。前回はイギリスでの大学院入学前に受けた英語の特訓コースが、リンゴ•インスティテュートで提供しているカリキュラムに多大な影響を与えた事についてお話しました。今回は大学院生活で考えさせられた ”多様性” についてお話したいと思います。

<学生の出身国は90ヵ国以上>
ロンドン大学の中でも私が学んだのはSchool of Oriental and African Studies と言うカレッジです。キャンパスはいつもカレーの香りに包まれていて、庭からはアフリカの太鼓の音?が聞こえていました。学生はアジア、アフリカを中心に90ヵ国以上から集い、学んでいましたから、本当に毎日がオリパラムードだったのです。ちなみに、私が留学していた20年前のイギリスでは“アジア人”と言うと、インド、スリランカ、パキスタン、バングラデシュ人等を指していた様に思います。私が専攻していたApplied Japanese Linguistics はEast Asia Department に所属していましたから日本人は”東アジア人”と言うイメージでしょうか。

<多様性を尊重する大学>
人種の多様性だけではなく、本当に多種多様な学生がキャンパスに溢れていました。LGBTQ+の学生も多く、理解促進活動もすごくオープンでした。

学生の年齢もまちまちでした。留学当時、私は30代半ばで大学卒業から既に10年余り経過しており、勉強癖もすっかり抜けていましたから勉強についていけるか心配でしたが、私の専攻には大学卒業後すぐの20代の他にも30代、40代、60代の学生がおり、誰も年齢の事など気にしていないようでした。

また、キャンパス内には保育施設もありましたし、宗教毎に礼拝室もありました。イスラム教の学生は日に5回お祈りの時間があるので、その時間になると授業中でも礼拝室に行ってお祈りをしていましたし、驚く事に卒業試験中であってもお祈りの為の中座が許されていました。

いい意味でユルくて寛容な大学で、おかげで誰もが”自分はマイノリティ”と感じる事なく、のびのびと学ぶことが出来たのは、後から考えてもとても価値ある事でした。何かと規則の多い日本の学校生活に慣らされて来た身にとっては、居心地の良いキャンパスライフでした。

<異文化間コミュニケーション>
ただし、文化や価値観の違うクラスメイト達と意見交換するのは大変でした。日本に居りますと、圧倒的多数が日本人で、皆さん日本語を話します。似たような価値観を共有していますので“暗黙の了解”も多いです。でも海外の学生と話すときは”暗黙の了解”が通用しないので、思った事は全て“言葉”にしなければなりませんでした。はじめはそれがとても面倒で”少しは想像力を駆使して気持ちを察してくれればいいのに”と嘆いたものです それでも人間、慣れるものですね。慣れてくると逆に日本の友人から来るメールを読むと文章の曖昧さにイライラするようになりました。日本語は主語を省略することが多いので、たまに長文になると動作の主体が途中で変わってしまっている事も多いです。断定を避けて最後の方がぼかされていたり。送り主の頭の中ではハッキリしているのでしょうが、読み手には伝わりづらいですね。

こうした経験が現在リンゴ・インスティテュートで英語や日本語を教える際に気をつけるポイントになっています。

まだまだエピソードはありますが、今回はこの辺で。次回に続きます

20周年記念ストーリー③ “イギリスの英語特訓コースで学んだ事”

イギリス学校
こんにちは、英会話と日本語教室のリンゴ・インスティテュートです。20周年記念ブログ連載3回目です。「金沢を世界へひらく市民の会」で日本語教師としてのキャリアをスタートさせ、その後も日本を愛する優しい生徒さん達に助けられながら経験を積んで行ったのですが、ある時イギリスからいらしたイギリス人弁護士のBさんを担当する事になりまして。。。容赦無い弁護士殿からの ”なんで?” ”どうして?”攻撃に、にわかOJT(on the job training )教師の私は英語できちんと文法説明が出来ず、ギブアップ。🙌
Bさんからは「もっと経験のある先生に変えてくれ💢」とのリクエストが… 😞それはそれは悔しかったけれど、文法的な説明がまともに出来ない日本語教師なんて、まっぴら御免ですよね。

この経験が、後にイギリスの大学院で”日本語応用言語学”を学ぶ事を私に決意させるキッカケとなりました。熱意を込めた志望動機エッセイと、上司からの推薦状の助けもあり、何とかロンドン大学東洋アフリカ学院の大学院から入学許可が出た時の感激は忘れられません。ただし、英語の成績が大学院レベルにはとても足りていなかったので、入学直前の夏休みに“8週間の英語の特訓コースを受ける事”が入学許可の条件でした。

この英語特訓コースで“Academic English”とやらを学ぶ機会がなければ、イギリスでの大学院の授業について行く事は不可能でしたし、ましてや修士論文を英語で書くなど夢のまた夢でした。

🌟後にリンゴ・インスティテュートで英語を学ぶ中•高•大学生の生徒さんに提供する事になる”Academic English”のエッセンスが実はこの特訓コースにあったのです!🌟

特訓コースは主にライティングを強化するものでした。欧米では小学生のうちからライティングの基礎を叩き込まれ、例えば社会科の研究発表だったり理科の実験結果の報告だったりもこのライティングの法則を応用して行われます。

ライティングの基礎と言うのは公式のように「型」が決まっています。①序論(イントロダクション)②本論(ボディ)③結論(コンクルージョン)というシンプルなサンドイッチ構造になっています。「なんだ、そんなの知ってるよ!」と言う声が聞こえてきますが、詳しく見ていきましょう。

①序論(イントロダクション)
実は私が日本でイメージしていたイントロとはかなり違いがありました。日本だと、まず書きたいテーマの背景を説明したりするところから始まると思うのですが、欧米の論文やプレゼンでのイントロはその論文やプレゼンの内容のエッセンスを全てコンパクトにまとめて述べます。しかも結論から述べます。ですから、イントロさえ読めば(聞けば)全体像が掴めます。

💡とある外資系企業の外国人のマネージャーは社内の会議では冒頭の10分、つまりイントロの部分だけ聞いてその場に留まるか退室するかを決めるのだそうです。10分後に秘書に白紙のメモを持って来させ、(イントロを聞いた結果)続けて聞く価値が無いと思えば「ごめん、急用が出来た。」と言って退室してしまうそう。日本人のプレゼンターにしてみれば、まだ序論では問題提起しかしてないのに…最後の結論部分で1番言いたい事を言うつもりなのに…と言うところでしょう。

論文でも序論(イントロダクション)はとても大切で、学生の論文のイントロ部分しか読まないと言う教授も多いとか。たかがイントロダクション?いえいえ序論が全てと言っても過言ではないのです。

②本論
いくつかのパラグラフ(段落)に分けるのは日本も同じです。論文やプレゼンの文字数、内容にもよりますが、3つくらいの段落に分けると見やすいですし、聞きやすいです。

各段落のはじめは”トピックセンテンス”が来ます。つまり、a)その段落で1番言いたい事が先に来ます。その後、b)「なぜなら」と言う理由や、具体例を挙げます。そしてa’)以上の事からa)なんです、と主張します。そう。a)->b)->a’)のサンドイッチ構造になっています。残りの段落もその繰り返しです。

③結論
言わずもがな”結論”なのですが、イントロダクション(序論)でも結論を述べているので、本論を踏まえた上での序論の”言い換え”をします。私のように英語の語彙力、表現力が乏しいノンネイティブ学生にとっては結論を書くのに大変苦労しました。今でも苦手です。

このようにきちんとしたライティングの型を一度押さえておけば、様々な論文、プレゼンに応用が効きます。はじめは慣れなくても8週間に渡るエッセイライティングの特訓おかげで大分コツを掴む事が出来ました!一生モノの財産🏆になったと実感しました。

さて、リンゴ•インスティテュートでも中学生以上の読み書きがある程度出来るようになった学生さんや、ビジネスパーソンにこのライティングの授業を提供しています。ライティングと言っても自分の意見をまとめるにあたり、教師とブレインストーミングしたり、ディスカッションしたりしながら論理的に段落組みをしていかないとなりませんので、論理的思考能力のアップも期待出来ますし、ヒアリングやスピーキングも上達するのです。一般の学習塾とは違う本番の教育アプローチを是非お試しください。”小学校卒業と同時に楽しい英会話教室も卒業”と言うのは本当に勿体ない!“中学以降こそグンと実力をつけるチャンス”💡なのです。

そして✨実は先日、嬉しいご報告を受けました!5歳から17歳まで13年に渡り当校に通い続けて下さったM.Yさんが、見事、“東京大學”🎓に合格されました🌿彼女も中学以降、アカデミック・ライティングや沢山のリーディング、スピーキングの練習を続けて来ました。英検対策もしました。「継続は力なり」🌟を証明して下さって本当に嬉しいです。13年間の学びは今後大学での研究活動や卒業後の仕事にもきっと役に立ってくれるものと信じます。

(次回に続きます。)

Lingo Institute 20周年記念ストーリー② リンゴインスティテュートが目指した金沢の団体

前回、金沢にて、(素晴らしいスイスのローザンヌ工科大学院生のおかげで!)無事に日本語教師デビューを果たしたところまでお話しました。その後に待ち構えていた試練のお話をする前に、私が所属していた団体についてお話させて下さい。なぜならリンゴ•インスティテュートを創る際に目指していたのが正にその団体の姿そのものだったからです。

「金沢を世界へひらく市民の会」という長い名前のその団体は、外国人への日本語指導等を通じ、地域の国際化を進める草の根国際交流団体でした。1981年にはサントリー地域文化賞を受賞。会についての内容や歩みがコンパクトにまとまっていますので、サントリー文化財団のHPに掲載された活動詳細を転載させて頂きます。⬇️

日本語学習のために
世界から金沢へ

 日本の伝統文化を今なお色濃く残す加賀百万石の城下町金沢。1977年、この金沢に「世界へひらく」という地球的視野の市民の会が誕生した。新しい金沢の創造には、過去の伝統や遺産にしがみついているだけでなく、世界の広がりの中で金沢を見つめ直すことが大切だ。そのためには、東京を介することなく直接世界と交流し、異質文化との触れ合いを求めていこうというのが主旨である。

 発端は、アメリカ人女性ルース・スティーブンスさんが金沢の英文ガイドブックを作ろうとしたことにある。これに協力したメンバーが、金沢の国際化という同じ思いで結成したのがこの会。最初の事業は同女史の執筆したガイドブック『金沢―もう一面の日本』の刊行だが、外国人が書いたこの種の本としては、東京、京都、鎌倉に次いで4番目。これまでに、約2万部を売っており、ちょっとしたベストセラーとなった。

 また、和文と英文の対訳で構成した新聞「カナザワ・コミュニケ」では、金沢市民はもとより金沢を訪れた外国人へのインタビューや、海外からの寄稿など、内外の人たちの眼を通したユニークな日本文化論、金沢の将来像などが論じられている。「金沢を世界へひらく市民の会」は固定的な会員制度はとらず、「コミュニケ」の読者がすなわち会員であるという考えのオープンな市民の組織。編集などの実務は、会の実質的推進者である東京生まれの松田園子さんを中心に、10名のスタッフがあたっている。

 「コミュニケ」での日本語教師養成講座の提唱が土台となり、1983年から「外国人のための日本語講座」を開催。 日本の内外から国籍も異なる外国人が約1ヵ月間金沢市とその周辺で過し、日常生活を通し日本語を身につけるというこの企画は大変な人気を呼び、年間170人の受講者を集めた。そしてこのきっかけとなったのが、日本語の先生を求めるペルーの一女子学生の「コミュニケ」への投書であった。この声に応えて、教師になろうと考えた市民が100名以上も集まり、その後も「日本語学習は金沢で」という金沢の人達の意気込みが年々高まっていった。

 地方都市における国際化活動の一つの方向として、「市民の会」の活動は、伝統文化の都市金沢が自らを見つめ直す機運を生み、投じられた一石は各地に波紋を広げた。
(以上サントリー文化財団HPより)

そして1987年には国際交流基金の地球市民賞🌏も受賞。会の発足当時、実質的な会の推進者である松田園子事務局長は、東京から金沢へ嫁いで来たいわゆる”よそ者”で、”よそ者に金沢の何がわかるのか”と陰口を叩かれたとも聞いています。よそ者だったからこそ発見できた金沢の魅力を松田氏の行動力で世界へ発信した事により現在の金沢が在ると言っても過言では無いと私は信じています。この会に、そして松田氏に出会えた事は本当に私にとって大きな意味があります。

さて、次回はいよいよ私に訪れた試練とそのおかげで得られた大きなチャンスについてお話しさせて頂きます🌿